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福大生の留学だより~パリ・セルジー大学より

更新日:2023年6月28日

 コロナ禍を乗り越え待ちに待ったフランス留学、ついに実現!

 今秋9月、福大フランス語学科の学生4名が、協定校セルジー・パリ大学外国語学部英語・日本語学科に1年の予定で留学に出発しました。渡仏から早2カ月、彼らより嬉しい便りが届きました。

 

 フランス基準の衛生観念、時間にルーズな国民性に驚かされながらも、ようやく生活環境にも慣れ(ショッピングモールも近場にあって便利!でも自然も豊かでリフレッシュできる!)、留学生活を存分に楽しめるようになってきました。街中でも気軽に声を掛けてくれるフレンドリーでオープンな雰囲気が、異国で暮らす緊張を解きほぐしてくれた感じです。出会いがしらは Bonjour(ボンジュール=こんにちは)の代わりに Ouais, on est là !(ウェ、オネラ!=よお、俺らはここだよ!)、別れる時は Au revoir(オ・ルヴォワール=さようなら)の代わりに À plus !(ア・プリュス!=またね!) ――教科書では習えない実地の口語表現を覚え、本場のフランス語にどっぷり浸かるなか、挨拶代わりの「ビズ」(両頬にキス)の習慣に戸惑いつつも、臆せず現地人と渡り合える感覚が掴めてきました!

 そして肝心の授業はと言えば、英語・日本語をフランス語で学ぶという三ヵ国語横断の刺激的なもの。何より日本語専攻のフランス人学生と、アニメや漫画など共通の話題で盛り上がれるのが嬉しいです。放課後は図書館で復習という勤勉な一面もありつつ、週末はパーティで大いに発散、ONとOFFの切り替えがスマートなフランス人学生たちと切磋琢磨する日々、今日もがんばろうと勉強もはかどります!マグレブ系(北アフリカのアラブ系)学生からイスラムの伝統を教えてもらったり、外国人留学生から各国の文化を学んだりと、まさに多様性のるつぼのフランス、これからもっといろんな発見をさせてくれそう。 

 巴里の空の下、今日もさまざまな表情を見せるエッフェル塔...。今ではパリのシンボルになったエッフェル塔も、19世紀の建設当時は伝統的な街並みを汚すと、芸術家の大反対にあったそう。作家モーパッサンはと言えば、塔の屋上レストランで昼食を取るのを常としていたらしい。なぜかって?それは「この醜悪な巨大骸骨」を見ないで済む唯一の場所だからですね!

 パリ5区にあるパンテオンにも訪れました。もともとはパリの守護聖人、聖ジュヌヴィエーヴに献堂されたのだけど、革命期の国民議会でフランスの偉人を祀る墓所とすることが決まったのだそう。ヴォルテール、ルソー、ユゴー、ゾラ、キュリー夫妻...フランスの誇る政治家、思想家、文学者、科学者が埋葬されているそうです。

 そして夜の帳に浮かび上がるのはオペラ座。大理石とシャンデリアのあるゴージャスな作りで、気分は社交界に繰り出す貴族!

 パリ郊外に位置するわれらがセルジー大学に程近い、フランソワ・ミッテラン公園にて。7ヘクタールもある広大な敷地で、晴れた日はピクニックや日向ぼっこも。水辺のカモたちに心和みます。

 いくつかある学食のひとつが公園の敷地内にあり3~4ユーロ程、安くてボリュームたっぷり、栄養バランスも取れる学生の味方。必ずサラダとデザートがついて、そこはフランス流、前菜・主菜・デザートのプロトコルを守ります。パンの付け合わせにミニチーズも付いて、スタンダードなカマンベールから濃厚なカビチーズのロックフォールまで、日替わりで様々なチーズが楽しめます。でも肝心のフランス人の友達はチーズ嫌い、人生の半分は損してる?!


 セルジー・ポントワーズはパリまで電車で30分ほど、このアクセスの良さが魅力。パリに繰り出す週末が待ち遠しいです。今日はセーヌ右岸のマレ地区(パリ3・4区周辺)を散策に行きました。マレ地区はもとは貴族の邸宅が軒を連ねる地区でしたが、その後19世紀末から20世紀前半にはユダヤ人街になったそう。アシュケナージと呼ばれる東欧系ユダヤ人コミュニティーで服飾業が発達し、今では新進気鋭のデザイナーの集まる流行の発信地になっています。

 そんなわけで私もブティックめぐり、古着屋さんは一見の価値あり。さてさて見つけちゃいました!ヴィンテージデニム最高、J'adore ça !! (ジャドー・サ!=それ大好き!)

 ショッピングのあとはカフェで一休み。

 マレ地区はモードの最先端を行くだけでなく、ギャラリーが多くアートの街でもあります。それに今では中国人街にもなっており、日本食レストランも見かけます。バゲット(フランスパン)とチーズとワインもいいけれど、たまにはうどんとかお寿司、恋しくなりますね!

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